トップクオリティ リージェンシースタイル マホガニーティーポイ

今から何と200年近く前!
1820年代、ジョージ3世の治世下、”レイト・ジョージアン”、
いわゆる”リージェンシー”の時代に製作された、スタンド(脚)付きの高級ティーキャディ(お茶入れ)、
すなわち”ティーポイTeapoy”と呼ばれるコレクティングファニチャー(収集目的の家具)になります。
ティーポイとはヒンズー語で「三脚=teapai」という意味の言葉。
イギリスの植民地だったインドから紅茶とともに輸入された呼び名なのでしょう。
19世紀初期、貴族たちの間では紅茶文化が浸透し、
ティーキャディーを置く三脚テーブルが重宝されるようになります。
そうした茶葉を収納する”ティーキャディ・スタンド”がティーポイと呼ばれるようになったということです。
その後、19世紀後半には紅茶文化が中産階級にまで広く普及したためでしょう、
ティーポイは、紅茶文化の普及に反比例して影を潜めていくようになるのですが、
こちらのティーポイについては、最もティーポイが盛んに作られていたころのリアルタイムなアンティーク、
つまり紅茶文化がまだ一握りの貴族たちのものだった時代に作られた、生粋の貴族家具、といわれています。
その19世紀前半、1820年ごろという時代は、別名”リージェンシー(摂政)”と呼ばれる時代。
ジョージ3世の息子であり、後のジョージ4世が摂政に就いていた時期になります。
美しい曲線と簡潔なフォルムがこの時期のリージェンシー様式の家具の特徴ですが、
まさにこちらのティーポイはリージェンシーを反映している一品と思います。
当時このような高級茶器(家具?)を持つことができたのは、ほんの一握りの上流階級だったはず。
デザインも素材も、まさに貴族仕様、といったところです。
いかに当時、お茶が貴重品だったか、偲ばれるような高級骨董です。
ちょっと話は横道にそれますが、イギリスのアフタヌーンティーの習慣は、18世紀末ごろより、
中国から伝わった喫茶の習慣が上流階級に広まり、次第に定着していきました。
当時はまだ、カップにはハンドルのない”ティーボウル”が使われていた時代です。
19世紀にはいると、ハンドルつきのティーカップも広まり、お茶の習慣も中産階級にまで広がり始め、
イギリスの現在の紅茶文化の基礎が形成され始めます。
しかし19世紀初めのころは、お茶にしても陶磁器にしても、まだまだ一般庶民には到底手の届かない高嶺の花の時代。
茶葉は女主人が鍵のかかるティーキャディに入れ、大切に寝室に保管されていたと言われています。
このような頑丈で高価な収納ケースに入れて・・。
このティーポイはまさにそんな時代、1820年頃に使われていた収納家具です。
オルゴールのような石棺型の天蓋を開けると、両サイドに4つの収納スペース、そして中央には
ミキシングボウルというガラス容器の置かれたブレンドスペースが2つあり、
合計で6つのセクションに仕切られています。
ほとんどのティーキャディは、内部に2つの収納スペースがあれが事足りました。
それは、緑茶と紅茶(又は烏竜茶)の2種類をブレンドをして楽しむことができれば良かったためです。
すこし大きめのティーキャディには、さらにブレンドをするためのスペースをとり、3セクションに分かれていたりもしますが、
こちらのティーポイは、収納スペース、ブレンドのスペース合わせて何と、合計6セクション。
要するに通常のティーキャディの2つ分、ということ。
さらにキャスター付きで移動までできてしまう高級仕様。
しかも、幸運なことに、ブレンドに使われていたミキシングボウルまで残されていて、
高価な切子ガラスがミキシングボウルに使われていたことが確認できます。
これほどの仕様、そして容量ともなると、おそらく、相当の貴族クラスで使われたいたものと思われます。
まさに高価な貴重品を収納するにふさわしい、本当にアンティークならではのお品です。
アンティーク上級者の方には、ぜひ、紅茶文化の歴史の一里塚として、
次代へと引き継いでいっていただきたいと思っております。
本当に、デニムがお勧めできない理由はどこにもありません・・。
(Buyer/AY)
価格(税込):
216,000
円
参考市場価格:
210,000
円
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LOCKON CO.,LTD.