トンTON ベントウッドチェア No14 ”Michael Thonet” / ピュア・マテリアル


150年以上の歴史をもつトーネットファミリーのベントウッドチェアNo14です。
「名作椅子」中の「名作椅子」になります。

※こちらはチェコTON社製の新品ベントウッドチェア”No14”を「未塗装/ピュア・マテリアル」でご提供する商品になります。
※デニムでの塗装サービスも承っております。(アンティーク塗装代:+7,000円税抜)
 塗装の色見本はこちらです。


“トーネットのベントウッド”については、デニムサイトでもたびたびご紹介してますし、
世界中のさまざまなお店やサイトでも詳しく解説されてますので、すでにご存知の方も多いことと思います。

でもご存じない方のために、一通りの概要を説明させていただきますね。
ここまで知っていただければ充分な”トーネット・マニア”です。(笑)
ご存知の方はさっと読み飛ばしてください。

まず、”ベントウッド”とは「木を曲げる」ということ、
そして”トーネット”とはその「曲げ木」でつくった家具のメーカー、”ゲブルダー・トーネット商会”の略称です。

”トーネット”社は今から約200年前、1819年”ミヒャエル・トーネットMichael Thonet”が
ドイツのボッパルトに興した小さな家具工場、「ミヒャエル・トーネット商会」からスタートします。

当時、家具は木を「切る」「削る」という工程を経て製作されるのが常識でしたが、
ミヒャエル・トーネットは木を「曲げる」という技術に着目。
「曲げた木」による斬新なデザインの家具を考案して、産物品評会などで次第に注目を浴びるようになります。

そしてトーネットの家具は、幸運にもオーストリアの時の権力者、”メッテルニヒ”の目にとまります。
それがきっかけとなり、家具の歴史はミヒャエル・トーネットを中心に動き始めます。

以前から彼が大きな可能性を信じ、すべてをかけてきた「曲げ木」という技術。
しかしそれまで何度もヨーロッパ各国で特許を申請したものの、どの国でも見向きもされませんでした。
ところが1842年、メッテルニヒ候の信頼を受けたことでオーストリア政府は彼に「曲げ木」の独占的特許を与えたのです。

それ以前、曲げ木の研究で多額の負債を抱えていたミヒャエル・トーネットでしたが、
やはりメッテルニヒ候の口添えでウィーンの有力な貴族の宮殿の家具の製作を受注するなど、経済状態も好転、
製造工場の環境も良くなり、ミヒャエル・トーネットは、前にもまして
曲げ木家具の研究開発にいそしむことができるようになりました。

それ以降、トーネット社は着実に発展していくことになります。
そして最終的には世界中に支部をもつ前人未到の「世界帝国」と称されるまでに登りつめることになるのですが、
実は、社業の爆発的な発展には、メッテルニヒとの出会い以外にもう一つ、
ミヒャエル・トーネットの人生を変えた重要な出会いがありました。

それは・・そう、トーネットファンの方ならご存知、
ウィーン市内のコートマルクトにある”カフェ・ダウム”のオーナー、ダウム夫人との出会いです。
ダウム夫人は、1850年、オーストリアの商工業組合の展示会でトーネットの椅子を知り、
店の椅子をトーネットに発注したのです。

当時のメジャーな社交場、”カフェ・ダウム”で初めて世間一般にデビューしたトーネットの「曲げ木椅子」。
ウィーンで大きな話題となったこの斬新な椅子、”ベントウッド”チェアは、このカフェ・ダウムの注文を皮切りに、
プタペストのホテルから400脚・・など、次々とトーネット社へ注文が殺到しました。

この時、カフェ・ダウムに納品した椅子は、トーネットの曲げ木椅子としては4番目の開発モデルでした。
そこでこの椅子は、後に世間では”No4”「ダウムの椅子」と呼ばれることになります。

ちなみに”No1”の称号を持つクラシック・トーネットは、通称「パレ・シュヴァルツェンベルグの椅子」と呼ばれています。

”No1”は、前述の、メッテルニヒ候の口添えで受注した、
リヒテンシュタインの有力貴族のためにつくった宮殿の椅子がモチーフになっています。
そのNo1もNo4同様、のちに量産モデル化されました。

さて、No4ダウムの成功で、ミヒャエル・トーネットはさらに「曲げ木」技術の研究に傾注します。

普通、「職人」でも事業に成功すると、今度は「経営者」として現場からマネジメントに立ち位置が変わりそうなものですが、
ミヒャエル・トーネットという人物は心底「職人」、そして「研究者」だったのでしょう、
彼はその後も次々に新しい椅子を開発していきます。

実際、会社の規模が100人を超えるころになると、早々と彼は経営を5人の息子たちに引き継ぎますが、
製造にかかわる仕事だけは、彼が最後まで現役で行っていたそうです。

ちなみに、経営権を息子たちに引き継いだ1853年、トーネット社は「ミヒャエル・トーネット商会」から
「ゲブルダー・トーネット商会(英名トーネットブラザーズ=兄弟社)」と社名を改名しています。

ところで、トーネットが飛躍する発端となったNo4ダウムですが、
まだまだ初期のころは製作に手間のかかるマホガニー製の成型合板による曲げ木椅子でした。

しかしあくなきミヒャエル・トーネットの曲げ木研究は、ついに無垢の部材ですら曲げることを可能にします。

・・No4ダウムの背もたれを見てください。

”S”字に曲がった唐草文様の部品がシンメトリー(左右対称)に設置されていますよね。

1本の棒を曲げると当たり前ですが、外側は伸び、内側は縮みます。
仮にお湯で煮て柔らかくした木材を曲げることができたとしても、乾燥すると伸ばした外側が割れてしまいます。
そこで初期のNo4では内側と外側の材料を変えることで、つまり重ね合わせた木材(合板)を使用することで、
その木材の繊維の伸縮、乾燥後の形状変化に対応していたのです。

つまり逆に言えば、伸びる側の材質と縮む側の材質を同じにはできなかった、ということです。

しかし、着実に研究を重ねていたミヒャエル・トーネットは、1856年、
ついに同じ繊維構造をもつ1本の無垢材ですら、乾燥後もはじける(割れる)ことなく
曲げることができるほどに技術を向上させました。

そしてさらには、その木材の2重の曲げ、つまり、片側を伸ばしてかつ縮める”S”字の曲げを
ついに単一材、要するに1本の無垢材でも成し遂げたのです。
ここにトーネットの曲げ木の基礎技術は決定的に完成します。

デニムのサイトで何気なくご覧になっていただいている”No4ダウム”の背もたれの”S”字の飾り。
実は、その「”S”字の曲げ」こそがトーネットが開発した高度な「曲げ木技術」のシンボルだったのです。

この年、トーネットの曲げ木特許権は新たに更新されています。

そして、バージョンアップしたトーネットの曲げ木技術は、新生”No4ダウム”にフィードバック。
それは「世界初の量産家具」の誕生を意味していました。

すなわち”No4ダウム”は当時、家具の歴史を変えたスーパー「ハイテク商品」でした。

その量産技術は、のちに”No14”という「世界初の“コンシューマーチェア”(消費者のための椅子)」に結実することになります・・。

※以下、お話は「お客様担当からのコメント」欄へ続きます。

(Buyer/YM)



価格(税込): 27,500 円
参考市場価格: 26,250 円


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